有松から行ける、もう一つの歴史スポット「桶狭間古戦場」へ
名古屋の歴史ある町並みである有松へ行った際、もう一か所の歴史スポットへと足を延ばしてみました。それは、かの有名な「桶狭間古戦場」。そう、織田信長が今川義元の大軍を打ち破り、戦国時代の主役へと躍り出るきっかけともなった桶狭間の戦いの舞台です。
小学生時代、ファミコンの「信長の野望」で戦国時代ファンになった男としては、桶狭間は行かねばならない場所だったのです。
なんて言いながら、有松と桶狭間がすぐ近くだと知ったのは、名鉄の有松駅を降りたとき。改札の正面に「桶狭間古戦場」という文字があって「あれ、ここから桶狭間って行けるんだ!」と気づいた次第です。。。
有松の町並みの外を走る大通りには「桶狭間」交差点。気分が高まります。有松の町並みを背に進んでいくとほぼ一本道で桶狭間古戦場に到着することができました。iphoneなどスマホの地図を見ながら歩けば迷わないと思います。有松の町並みからおよそ20分ちょっとという距離ですかね。途中にコンビニがあるのも助かります。
ただ、歴史の授業で習った通り、桶狭間は小高い丘に囲まれた狭間、ということで、なだらかながらも坂道になっています。1560年、信長は熱田神宮で戦勝祈願を行った後、自軍の善照寺砦に入り、戦場となった桶狭間へと向かっています。私が歩いているルートも方角的には、信長がたどった進軍ルートと同じはず。こんな坂道を登ったり下ったりして、桶狭間へと向かったのかな?なんて想像力を働かせながら歩いていくのも楽しいものです。
とは言え、有松の駅から名古屋市バスで桶狭間古戦場に向かうこともできるので、歩くのしんどいとか、夏場の暑い時期はバスに乗るのがいいかもしれませんね。有松から「有松町口無池」行きのバスに乗り「幕山」で下車すると桶狭間古戦場近くまで行くことができます。
桶狭間古戦場は公園だった
有松から歩いて20分ほどで、目的の桶狭間古戦場公園へと到着しました。すべり台に鉄棒。おお、思ったよりも普通の公園だ・・・
と思ったら、公園の中心は桶狭間古戦場らしいつくりになっていました。
桶狭間の戦いの当事者、織田信長と今川義元の像がありました。この近くに本陣をおいた今川義元の軍勢は、織田軍の奇襲により混乱、その結果総大将の今川義元が討ち取られるということになった・・・という歴史。それがこの場所だったのか。
ちなみに、私が小学校・中学校(およそ25年~30年くらい前)のとき、桶狭間の戦いは「織田軍が今川軍の脇を狙って迂回しての奇襲」と言う風に習いました。それが、最近の研究では迂回ではなく「正面から攻撃」を仕掛けたという説が有力だと言われているそうです。歴史の結果は変わらないですが、そのプロセスや理由が研究によって変わるというのも、歴史の面白いところですよね。
桶狭間古戦場公園には、公園内の水路を利用して、桶狭間の合戦をジオラマ化した解説コーナーがありました。
専用のアプリを用意して案内板の情報を読み込むと、桶狭間の合戦の模様を紹介する動画が視聴できるとか。思った以上に手が込んでいたジオラマでした。このあたりも想像力を働かせて、織田軍と今川軍の進軍を追ってみると面白そう。
外界から切り離されたような厳かな空気の「桶狭間神明社」へ
桶狭間古戦場公園だけでなく、周辺にも桶狭間の合戦に縁のある場所があり、観光マップにもいろいろな場所が記されています。せっかくなので、もう少し桶狭間のあたりを歩いてみることにしました。
こちらの神社は、桶狭間古戦場公園から徒歩で10分弱の場所にある「桶狭間神明社」 。
上り坂になっている参道を進むと、森に囲まれた境内が目に飛び込んできます。あたりは住宅街になっていますが、この桶狭間神明社は木々のおかげか、外界から切り離されたような厳かな雰囲気。足元の砂利の音だけがする、静かな空間。
桶狭間神明社は、今川方の家臣・瀬名氏俊が戦勝祈願を行った場所として伝わっています。瀬名氏俊が神社に奉納した酒樽は今も宝物として神社に残っているとか。「海道一の弓取り」と評された、東海エリアの大大名だった今川義元と「うつけ者」というもっぱらの評判で、まだ尾張一国を統一したばかりの織田信長。国力差・戦力差を考えれば「一応戦勝祈願しとくけど、さすがに負けんやろ・・・」と思っていたのか、それとも「いやいや、油断はならないし、ちゃんと神酒を奉納してしっかり戦勝祈願せねば」という感じだったのか。まさに神のみぞ知る。
神木である二本の杉に両サイドを守られた神明社の本殿も神秘的な雰囲気を醸しています。歴史好きならずとも、桶狭間神明社の凛とした空気は味わってほしいですね。
今は閑静な住宅街「今川義元本陣跡」
桶狭間古戦場公園近くには今川義元本陣跡と伝わる場所が残っています。現在は閑静な住宅街となっている、少し小高い丘の上に本陣を構えていた今川義元。当時、落雷と豪雨の中織田軍に奇襲をかけられた今川軍。ここから退却を図りつつも執拗な攻撃により、義元はついに討たれてしまったのですね。
織田軍が今川義元を討ち取って、桶狭間の合戦は織田軍の勝利に終わりました。その後、今川軍の首検証を行ったという「長福寺」。義元の首はその後母国の駿河に戻ったそうですね。まさか義元が首だけで戻ってくるとは、家臣も民も誰も思わなかったでしょうね。
およそ1時間くらいで桶狭間の合戦に関連するスポットを回ることができました。歴史で習った通り、なだらかながら起伏のある桶狭間。なかなか歩きごたえのあるルートですが、戦国時代に興味のある者としては、楽しい散策となったのでした。
桶狭間古戦場公園に戻ると、熱心にボランティアの方とお話されている方や、ジオラマの動画をチェックしている方など、それぞれに桶狭間を楽しまれているようでした。
有松からほど近い、歴史の転換点となった桶狭間。有松とあわせて、歴史を楽しむ散策にぜひ。